もりのせいかつ 別館

銀河が好き。撮影日誌と画像処理の試行錯誤、ときどき料理の記録なども。

アーティゾン美術館へ

最近は引き篭もりで美術展への興味も失っていたけれど、FBにザオ・ウーキーの絵が流れて来たら行きたくなりました。

2004年に初めて見て一目惚れ。2013年の追悼展を見逃してしまったのは痛恨。

 

今回の展覧会は、”Transformation 越境から生まれるアート"

ザオ・ウーキーだけでなく、国や文化圏を越えることで変容を遂げた画家達の作品が、以下の4部構成で紹介されていました。

ルーヴル美術館や他国の美術館で、過去の絵画から学び続けたルノワール

・渡欧し、かの地でor日本に戻って己の独創性を模索した藤島武二藤田嗣治小杉未醒

・スイスに生まれ、ドイツの青騎士やフランスのシュールレアリスムとも関わり、その作品はアメリカでも広く受容されたという、パウル・クレー

・中国からフランスに渡り、パウル・クレーに影響を受けながら、水墨画にも通じる東洋的な雰囲気を併せ持つ、ザオ・ウーキー

 

クレーの『庭園の家』(殆どの作品が撮影可でした)

を見た時、ザオ・ウーキーの『エメラルドグリーン』(1950-51年頃)を連想しました。今回は展示が無く、残念。

"クレー流の造形"からの脱却を試みたとされる『水に沈んだ都市』は1954年の作品

 

8年前に一目惚れした『07.06.85』(1985年)

 

今回離れ難かった『10.03.76』(1976年)

絵画鑑賞は、歴史や背景や技術を知る事で理解が深まるというけれど、なぜこんなに好きなのか解らなくて言語化できない。

色合いや筆の質感とか滲みの濃淡や飛沫までがツボというか、どうしようもなく惹かれてしまうのは、「銀河が好き」とか「紺色の服を見ると欲しくなる」というのと同じレベルなのかも。

 

この展覧会の学芸員インタビュー記事がありました。artscape.jp

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もう一つの展覧会 "写真と絵画 ーセザンヌより 柴田敏雄鈴木理策"は、写真表現について考えさせられる展示でした。

 

二人の写真家が影響を受けたセザンヌなどの絵画(&仏像)とのセッションという形ですが、それらの名画よりも両氏の写真作品、もっと言えば、写真作品よりも両氏のコメントの方に興味がひかれてしまいました。

他の方がお書きになった正しい鑑賞記事↓

open.mixi.jp

 

以下は、撮って来た両氏のコメントなど。

「ピントを浅くすることでフォーカスの存在を意識させる」「異なる(距離感の)レイヤーを統合する」を天体写真にも活かせないかと思ったり、

「「今見ていること」自体を伝えたい」「そこに居ないとつくれない」天体写真にも即時性を求める方がいるのは、こういった写真文化が背景にあるからなのかなと思ったり、

あるいは"今"の時間感覚を広げれば、「見る事の先において撮ることの中で生じた一つの選択の結果」私も寧ろこちらかなと思ったり。

 

会場の解説

 

彼の抽象画のような写真には、とても共感しました。

一方で、天体写真は画面に情報量が多ければ多い方が良いという、たぶん逆ベクトル。

 

少し驚いたのは、全くタイプが異なると感じられていた両氏の作品が、5つ目のセクションで見分けがつかなくなった事。

柴田氏の作品は硬質で規則的、鈴木氏の作品は柔らかく叙情的な印象と、全く違う個性だったのに、抽象化のマジックのようなものを感じました。

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ミュージアムカフェでランチを食べました。